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「利回りゼロの年金」論が流行っているらしいが、本当にそうなのか?-橘玲氏の年金批判を検証-

最近、「ねんきん定期便に会社負担分が記載されていない」「実質的に払った額しか戻らない」など、公的年金制度への不信を煽る言説がネット上で目立つ。その多くは、制度を金融商品と見なす発想に立っている。払った分に見合うリターンがあるか、元本が回収できるか——そうした視点から制度の是非を測るものだ。

この種の論調を先鋭化させているのが橘玲氏だ。

彼は、会社負担分も含めた納付額の「見返り」がほぼゼロであると断じ、制度の構造を「国家による隠蔽」として告発する。主張としては過激だが、直感的には多くの人に訴求してしまう力を持っている。だからこそ検証が必要だと考えた。

まず、厚生年金制度の基本設計は「労使折半」だ。保険料は労働者と事業主が半分ずつ負担する。これは法律にも明記されているし、事業主による支払いは賃金とは別の制度的負担として構成されている。事業主に負担責任があるという設計は、戦前の制度から引き継がれた社会的合意でもある。

では、それが実質的に労働者の賃金から支払われているのではないか?という疑問については、経済学の先行研究でも見解が分かれている。賃金に転嫁されているとする研究もあれば、統計的に有意ではないとするものもある。さらに、パート労働者への適用拡大期の統計データを見ても、賃金の下落傾向は確認されていない。制度設計と制度運用の間にはグラデーションがある。単純な図式で語るべき話ではない。

そして何より、年金制度は「資産形成モデル」ではない。世代間連帯の賦課方式によって成立する社会保障制度である。自分が払った保険料が、そのまま自分に戻ってくるわけではない。現役世代が高齢者を支える。この構造に対する理解なしに「利回りゼロ」と批判するのは、制度の前提そのものを見落としている。

制度が不信にさらされる時代だからこそ、理念を問う議論が必要だ。年金制度は何を守ろうとしているのか。それにふさわしい語りの形とは何か。誰の目にも届く「見せ方」のなかで、何が見えなくなっているのか。そんな問いから、もう一度この制度を捉え直してみたい。

ねんきん定期便が「個人勘定」を可視化した結果、人々が制度を金融商品のように誤解する構造を生んだ——そう考えることもできる。情報提供の形式が、制度の理解を歪める媒介になることすらある。だからこそ、公的制度に対する言論は、その設計思想に立脚している必要がある。自分が払った額と返ってくる額だけで制度の価値を測る視座は、制度本来の目的を見失わせる。

参考文献一覧

■ 新聞・ウェブ記事

■書籍

■ 国会答弁・政府資料

■ 学術論文

■ 学術論文

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